How much are you?

 時々、わからなくなる。
 自分はこの男が欲しいのか。
 自分だけのものにしたいのか。
 触れかけた指先を何度も引き戻す。
「俺は高価いよ、次元ちゃん?」
 ルパンはそれに気づく都度、悪戯めかして笑う。
「世界中の黄金を積んだって俺は買えやしないぜえ?」
「そうだろうな」
 その気になれば世界中の黄金を盗み出すことだってできる男だ。
 名誉も権力も興味はない。
 女なら若干は心を動かされるかもしれないが、それだって一時のことだ。
 彼を永遠に購うことなどできはしない。
「でもひとつだけ、方法はあるんだなあ」
「何だって?」
 唇に人差し指を当てて小悪魔めいた笑みを浮かべたルパンが、その指を次元の唇に押し当てる。
「―――おまえの魂と、引き換えに」
 芝居めいた仕草で。
 けれど地の底から響くような声で。
 一瞬、背中に氷塊を突っ込まれたような寒気が疾った。
「……冗談だよ」
 ルパンは唐突に次元に背を向けた。
「ルパン?」
「ん?」
 振り向いた顔はいつものそれで。
 結局はまた、はぐらかされてしまったことに気づく。
 いつもいつも。
 俺には、お前を手に入れる価値がないだろうか?
 そう自問しながら、どこかほっとしている自分をも感じている。
 世界中の黄金を積んでも買えない、愛しいお前。
 とうに売り渡しているはずの魂など惜しいわけではないのに、自分はどうしてその手を捕まえることができないのだろう。

***

 廃ビルのてっぺんに、次元は追いつめられていた。
 まったく、自分は泥棒には向かないとつくづく思う。
 たった一人で仕事に臨んで、案の定このザマだ。
 地上からは煌々と目映く輝くサーチライトが、血に餓えた鮫さながらこちらを狙っている。
「こりゃあ絶体絶命って奴だな」
 冷たいコンクリートにだらりと両足を投げ出して、次元はひとりごちた。
 左の脛からは黒く見えるものが染み出している。
 たいした傷ではないが、飛んだり跳ねたり走ったり、は無理のようだ。
 つまり今の状況では致命傷ということだった。
 下では警官隊が何やら拡声器を持ち出して喚いている。
 大人しく投降すれば命だけは何ちゃらかんちゃら。
「馬鹿くせえ」
 次元は身を乗り出すと、喚いている男のすぐ側のサーチライトめがけて一発お見舞いした。
 その程度では光は弱まりはしなかったが、とりあえず幾つかの悲鳴のあとは静かになったのでよしとする。
 もっともおそらく次はSWATの突入で、射殺される可能性が高くなっただけともいえるだろう。
 残りの弾もそろそろ残り少なくなってきた。
 いよいよ覚悟を決めるしかねえかな、と次元が薄く笑ったとき。
「ルパーン! そこにいるのはルパンだろう!?」
 突然の聞き慣れた怒声に、次元は驚いて身を起こした。
「銭形のとっつぁん!?」
 先頭の男から拡声器を取り上げ、喚いているのは確かに見慣れたトレンチコートの男で。
「大人しく投降しろ、ルパン! そうすれば、わしがお前を殺させやせん!」
「何なんですかあんたは!」
 責任者らしい男が拡声器を取り戻そうと銭形ともみ合う。
「わしはICPOの銭形だ! あれはルパンだ!」
「目撃者の話じゃ……」
「あんなものを狙うのはルパンに決まっとーる!!」
 しかし当然ながら昭和一桁生まれの銭形は頑固一徹だ。
「……いいカンしてるな、とっつぁん」
 あいにく今回はニアピンだが。
「だなあ」
 思わず呟いた次元は、返された相槌にぎょっとした。
「ルパン!?」
 すぐ傍らに立ち、地上を見下ろす赤いジャケットの男。
 幻かと思ったが、身を隠すでもないその態度にすぐさま地上で反応があった。
「ルパン! 見ろ、あの派手なジャケット! あんな頭の悪そうな服を着るのは奴しかおらーん!」
「頭悪そうで悪かったな」
 むっとした顔でルパンが呟く。
 そして、いまだ呆然としている次元の傍らにひょいとしゃがみこんだ。
「よう、次元」
「ル……何でここに……?」
 屋上への入り口はバリケードで塞いである。
 いや、ルパンのことだ、そんなものは屁でもないというか、どこかとんでもないところから現れたのだろうが、そもそもこの仕事は。
「俺を除け者にするなんてひどいんじゃないの、次元チャン? ニュースで見て吃驚したぜ」
 おまけにこーんな怪我までしちゃってるし。
 呆れた顔で、怪我した足に手早くハンカチを巻いて止血する。
「いてえ! もっとそっとやりやがれ!」
「我慢しろって。はいおしまいっと」
 ルパンはぽんぽん、と子供にするように次元の帽子を叩いた。
 そして再び、目映いばかりの光で埋め尽くされた地上を見下ろす。
「絶対絶命って奴じゃん。何で素直に投降しないわけ?」
「俺の勝手だろ」
 けっと毒づいて、次元は煙草を咥えた。
 ルパンが苦笑して、マッチを取り出し火を点けてやる。
 そしてルパンも煙草を咥え、次元の煙草から火を移した。
 二人並んで腰を下ろし、美味そうに紫煙をくゆらす。
 見上げた夜空には、地上の喧騒など知らぬ気に、琥珀色の月が輝いていた。
「……で、今日の獲物は何なんだ?」
 煙草をひび割れたコンクリで捻り潰したルパンが口を開く。
「ニュースじゃなんだかまだ未公開のすんごいお宝ってしか言ってなかったけど」
「ん」
 次元も燃えさしを捨てると、懐に手を入れた。
「手ェ出せよ」
「え?」
 戸惑うルパンの右手を掴んで開かせると、そこに探り当てた物を落とし込む。
「おい、次元!」
「綺麗だろ?」
 直径5センチほどのダイヤモンド。
 大きさも、最高級のブルーホワイトの輝きも、ルパンにとっては見慣れたものだが、ひとつだけ、ルパンといえど目をみはるものがあった。
 ダイヤの中心に踊る、深紅の炎。
 いや、それは大輪の薔薇だろうか。
「こりゃあ……ガーネットか?」
 普通、インクルージョンと呼ばれる不純物を含むダイヤは価値が落ちるものだが、ごく稀に、ダイヤの中に別の宝石が結晶化している場合がある。
 それだけでも貴重なものだが、このダイヤの場合は特にガーネットが中心部に、そして意匠のような形で配置されているのだ。値段は天井知らずといったところだろう。
「綺麗だろ?」
 見惚れているルパンに、次元がにやりとして繰り返す。
「ああ、すげえな」
「やるよ」
 あっさり言われて、ルパンは自分が聞き違えたのかと思った。
「……なんだって?」
「お前にやるってんだよ」
 次元は帽子の鍔を深く引き下げて答えた。
「気に入ったんだろ?」
「そりゃ……」
 だがルパンは納得しない。それは当然だろう。
「だがこれは、お前が自分で欲しくて盗んだ石だろう? 俺たちにも相談しないでさ」
「ああ、それは俺が盗みたかったんだ。だから、情報屋から来たネタを止めたのさ」
 次元と顔なじみの情報屋は、もともとこのダイヤのネタをルパンに買ってもらおうと持ち込んできたのだった。
 最近アフリカで発見され、ひそかにニューヨークに運ばれてきて、近々お目見えの予定だという稀少なダイヤ。確かにいかにもルパン好みの獲物だ。あるいは不二子の。
 だが、その写真を見せられた瞬間、次元は一目で気に入った。
 だから、その情報をルパンには伝えず、ニュースになる前にたった一人で盗み出したのだが。
「それを何で俺にくれちゃうわけ?」
「お前に似てるからさ」
「俺?」
 ルパンは目をぱしぱしさせた。手の中の石と、黒ずくめの相棒とを見比べる。
「世界でいちばん硬い宝石の中の、誰にも取り出せないお宝だ。実際、お前みたいだろ?」
 凍てつく氷の中に封じられた、炎のような、薔薇のような。
 一目見た瞬間、直感した。
 こいつは、ルパンそのものだと。
「……きっとこいつを見れば、お前は気に入って盗み出すだろうがな。そうじゃなくて、俺が、この手で盗み出したかったんだ」
「次元……」
「それをどうしようとお前の勝手さ。その程度の石で、お前が買えるなんざ思ってねえしな」
「あ?」
 ルパンが首を傾げるのに、思わず笑った。
「世界中の黄金を積んだって、お前は買えやしないんだろ?」
「ありゃあモノの例えで……!!」
 真っ赤になるルパンという珍しいものを見て、次元がくっくっと笑い出す。
 ルパンはそれを腹立たしげに見やっていたかと思うと、ふいに次元に覆い被さった。
「ル……!」
 何事か叫びかけた次元の唇を、深く塞ぐ。
 倒れこんでくる体を強く抱き寄せて、次元は甘い蜜を含んだ舌を絡め取った。
「ん……」
 甘ったるい声を上げ、ルパンがなおも次元に体を摺り寄せたとき。
「いでー!」
 次元が悲鳴を上げて飛び上がった。
「わりぃ! 大丈夫か?」
 知らずルパンが、足の傷に体重をかけてしまったのだ。
 涙目の次元に、ルパンは苦笑して肩を竦めた。
「どっちにしろ、ラブシーンの続きはお預けだな」
 ちらりと背後に目をやると、非常口を塞いだバリケードが小刻みに震えている。
「お客さんか」
「無粋だよなあ」
 ルパンはワルサーを取り出し、次元に反対の手を差し伸べた。
「歩けるか?」
「ああ、たいしたこたない」
「泣いてたのは誰だっけ」
 肩を借りて立ち上がった次元がじろりとルパンを睨んだが、泥棒は他所見をして口笛など吹いている。
「んじゃ五右エ門、出番だよ」
「承知」
 物陰から現れた五右エ門に、次元はまたもやぎょっとした。
「五右エ門、いたのか!?」
「目は閉じていた、安心するがいい」
 しかし聞いてはいたわけだ。
「そりゃどうも……」
 次元は泣きそうな声で、さらに帽子を深く引き下げた。
「そんじゃ五右エ門ちゃん、例の場所でな。下のお巡りさんたちは適当に料理しちゃってちょうだい」
「心得た」
 頷く五右エ門とは反対の方向へ駆け出したルパンの背から、透明なグライダーの羽が広がる。
「行くぜ、次元!」
 その体にしがみついた次元を連れて、眩しい光の交差する闇の中へ飛び出す。躊躇いもせず。
 怖いもの知らずの、稀代の怪盗。
 不可能を知らず、諦めを知らず、常に前に向かって怯むことのない。
 世界中の黄金を積んでも買えない、愛しいお前。
「……世界中の黄金を積んだって、俺は買えやしないけどさ、次元チャン?」
 まるで次元の心を読んだように、風に紛れてルパンの声が届いた。
「案外取るに足りないもので、俺は手に入るかもしれないんだぜ?」
 それは何だ? と聞き返そうとした次元の唇を、やわらかなものが掠めた。
 たとえば、恋人のキスとかさ。

 満月に重なった二人の影が、琥珀に閉じ込められた化石のようで、今なら時間を止めるのも悪くねえなと次元は思ったのだった。

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*えー、ホワイトデーネタで書こうと思ったんですが(バレンタインチョコはルパンでしたから。でもダイヤでも果たしてルパンの3倍返しにもなるかどうか(笑))、ネタまとまった時にはホワイトデーはとっくに過ぎてたので断念しました(書くのは半日なのに)。
たまには泥棒次元チャン。でもあくまで理由がルパンのためってのが泣かせます。ルパンは高いぞー(笑)。
ダイヤの中にガーネットってのは確かにあるそうです。なんだかルパンのイメージだなあと思いまして。この石はルパン、不二子チャンにねだられてもあげないんでしょうね(笑)。