Fake

  またもや不二子の裏切りで喧嘩別れし、アジトを出ていったはずの次元大介が戻ってきたのは、4日後のことだった。
「いつもより早いんじゃねえ?」
 リビングでのんびり新聞など読んでいたルパンは、黒ずくめの相棒を見やった。
「そうか?」
「一週間たったところで俺様が上等のバーボン抱えて謝りに行くってのが大体のパターンかな」
「いつもいつもお前の思惑通りにゃいかないさ」
 煙草をくゆらせながら、次元は長椅子にルパンと向き合って腰を下ろした。
「新聞、よこせよ」
「やーだよ、俺まだ見てんだから」
 べえ、とルパンが舌を出す。
 ち、と舌打ちして次元は腕組みした。
「……で、お前はどこ行ってたの」
 新聞の陰から半分だけ顔を出してルパンが問う。
「別に」
「オンナ?」
「俺の勝手だろ」
「なーる、オンナにフられていつもより早く帰ってきちゃったわけね」
 一人で納得するルパンに、次元はけっ、と吐き捨てた。当たりらしい。
 ルパンはにやあと意地の悪い笑みを浮かべると、新聞を床に放った。
「おい、俺が見るって……」
「次元チャンてば、か〜わいそう」
 新聞に手を伸ばしかけた次元の上に、ルパンがテーブルをひらりと飛び越えて伸し掛かった。
「おい!?」
 ぎょっとする次元をソファに押し付けて、その目をルパンが覗き込む。
「お前をフるなんて、見る目のないオンナだこと」
「余計なお世話だ」
 次元はふいと顔を逸らした。
「ホント不機嫌だな、今日は」
「…………」
 次元は答えない。その目が窺うよう、自分の上の男をちらりと見やった。
 ルパンはくすりと笑って、あっさりその腕を放し立ち上がった。
「でもお前が戻ってくれてよかったぜ。五右エ門チャンもいないし、暇で暇で」
 踵を返したルパンの無防備な背中に、次元の手がすっと腰のコンバットマグナムへ伸びたとき。
「……あんまり退屈だから、お前を殺しちまおうかと思ったぜ」
 ふいにルパンが向き直る。昏い声と共に。
「何?」
 意外な言葉に、次元が凍りついた。
 その顔を見て、ルパンが薄く笑む。
「だってそうだろ? 俺様が暇なのは、要するにお前が怒って飛び出していっちまって、そのご機嫌を取るタイミングを計ってたからだ。そうでなけりゃ、仕事をするもよし、美女とデートするもよし、何だってできるんだぜ……このルパン三世に、出来ないことはないんだからな」
「しょってやがる」
 掠れた声は、一拍遅れた。
「俺がいなけりゃ出来ないことがあるから、俺のご機嫌を取ろうとするんだろう」
「お前は、そう思うのか?」
 微妙なイントネーションに、次元は気づいただろうか。
 気づいたにせよ、彼はそれに答えるすべを知らなかった。
「この俺に、お前がいなければ、できないことがあると?」
 冷たい微笑は、次元の背筋を凍らせた。
「―――だから俺が、お前の帰りを待っているんだと?」
「……ルパン」
 見上げる次元の声が掠れた。
「わ、悪かった……」
 くすりと、ルパンは笑った。
 途端に、その身に纏っていた凍りつくような気が消える。
 次元はほっと、大きな息を吐いてソファに寄りかかった。
「まったくお前ときたら、可愛いったらないよな」
 再び次元に歩み寄ったルパンはソファに片膝をついて、髭面の男の唇に一瞬触れるだけのキスをした。驚きに男の目が見開かれる。
「……なぜわかった?」
 その喉から絞り取られたような低い声が漏れた。
 キスに紛れて心臓の上に押し当てられた、ワルサーの冷たい銃口。
 おどけた顔を崩さぬまま、ルパンは答えた。
「次元は、俺にキスされてそんな顔はしないんだよ」
「ふざけるな」
 ぎり、と男が唇を噛む。もはや声音も使ってはいない。
 それに、やさしい視線をルパンは投げた。
「次元に化けて俺を狙うってのは、いいアイディアだったけどな。あいにくと、使い古されすぎてるんだ」
 左手で頭を支え、帽子に半ば隠れた目を覗き込むと、銃口はますます強く胸に押し当てられ、次元そっくりの顔が恐怖に歪んだ。
「俺がいちばん腹が立つ方法には違いないが、あいつに言えないこともいろいろ言えて楽しかったぜ。お礼に、楽に死なせてやるよ」
 ルパンは無造作に、引鉄を引いた。
 男の体がルパンの腕の中で痙攣し、唇の端からごぶりと赤黒い血が流れる。
 それですべてが終わりだった。
 ルパンの顔からは微笑さえ消えぬまま。
 痛いほどの力で二の腕を掴んでいた指を引き剥がすと、弛緩した体はずるりとソファから滑り落ち、クッションには赤黒い染みだけが残った。
 男の顔から付け髭をもぎ取る。
「……ま、ちっとは似てたかな?」
 死に顔を眺めて呟いた。
「あいつには言えないことを言えたばかりじゃなく、あいつにはできないことまでできたからな。せめて墓くらいは作ってやらあ」
 この手でお前を殺したいなと。
 あの言葉もきっと、嘘じゃない。
 心のどこかにある、ひそやかな昏い願い。
 誰よりも自由な怪盗を束縛するのは、この世にただ。
「死体は葬儀屋に電話するとして……このソファはもう駄目だな」
 赤く濡れたソファを見下ろしてルパンはぼやいた。
 次元のお気に入りの長椅子だ。汚れたから捨てた、と言ったらカンカンになって怒るだろう。
「ええと家具屋に電話、いや、葬儀屋が先か」
 電話帳を捲りながら、ルパンの顔は明るい。
 本物の次元が戻ってくるまでには、墓場には新しい墓標がひとつたち、この部屋には新しいソファが入るだろう。
 ここに次元が寝そべっていないとどうも落ち着かない。
 彼を待つ理由は、ただ、それだけなのだと。
 そう言ったら、次元は怒るだろうか。
 相棒のその顔を思い浮かべ、ほんの少し、ルパンは笑った。

 *ブラウザの「戻る」ボタンでお戻り下さい*



*次元ニセモノ編。原作にあるんですよね、次元に化けた殺し屋がルパンを狙うっての。かつて次元はその殺し屋に化けて彼の相棒を殺したことがあって、言ってみれば「お返し」を要求されるんだけど、「ルパンを狙うのだけは許せない」と阻止しちゃう。本当にルパンに惚れてるな、次元(笑)!
新ルでもルパンに化けたミスターXとルパンを見て、次元がニセモノを見破る話がありましたが、じゃあルパンは次元のニセモノがわかるのかなー?と出来たのがこの話です。
でもルパン、殺し屋にキスはちょっとサービスしすぎだなあ。(たぶん最初からニセモノとわかってたと思うんですが(笑))