Loveless

  望んで囚われたのは、あなた。

 どうしてこういうことになったのか。
「あんまりってもんだよなあ」
 冷たい石壁にもたれて、ルパンはため息をついた。
「それはこっちの台詞だ」
 少し離れた場所から声が返される。
「なんでとっつぁんが怒るんだよ!」
「なんでお前が怒るんだ!」
「秘密警察の連中なんか連れてくるとっつぁんが悪いんだろう!」
「秘密警察に睨まれるようなお宝を盗むお前が悪いんだろう!」
 極めて不毛な言い争いは、しかし即物的な理由からすぐに止んだ。
「あ〜腹減った」
 ごろりとルパンがこれまた冷たい石の床に横になる。
「全くだ。メシくらい食わせろってんだ。人権蹂躙だ」
 重々しく頷いたのはもちろん、ルパン三世を追い続けてン十年と噂されるICPOの銭形警部だ。
 もちろん実際にはまだ十年と経ってはいない。
 だがルパン三世ただ一人に注ぎ込むには長すぎると誰もが感じる時間であることは確かだ。
 その不倶戴天の敵であるばずの二人だが、現在は同じ某国秘密警察の牢に押し込められていた。
 いつもどおり、お宝を狙うルパン逮捕にやってきた銭形警部だが、警備に当たっていたのは警察ではなく、この国の秘密警察だった。ICPOなど知ったことかと、銭形を無視してほとんど戦争紛いの武器や罠を仕掛け、ルパン殺害を企んだ。
 しかし何とか命拾いをし、武器も何もかも取り上げられラプンツェルよろしく高い塔に二人して閉じ込められているわけだが。
「……次元たちは無事逃げたかな」
「さあね」
 自分の仲間のことだというのに、ルパンは鼻歌など歌っている。
 だがルパンが捕まったのはまず彼らを逃がしたせいでもあることを銭形はよく知っていた。
 そして恐らく、ルパンを庇おうとして拘束された銭形を案じて一人残ったのだということも。
「……すまんな」
「何が?」
 鼻歌が止んだ。
「いや……その……」
 ルパンが銭形の命と引き換えにしたのは、まさしく彼が苦労して盗み出したばかりの秘宝、美しい刀剣だった。
 せっかくのお宝を、というのも警察官としてどうかと思う。
「……俺のせいで、お前まで捕まっちまって」
 だからそう言うに留めた。
「ああ、そゆこと?」
 ルパンが起き上がり、胡座をかく。頭の後ろで腕を組んで壁にもたれた。
「俺はそうしたいからそうしただけさ。別にとっつぁんが気にすることじゃない」
 恐ろしく高い位置にある窓から差し込む月の光が、ルパンの顔を照らし出した。
「お宝はまた盗めばいいけど、命はそうはいかないからな」
 思いがけずやさしいその笑みに、銭形は一瞬見惚れた。
「……綺麗だな」
 知らず呟きが漏れる。
「何が?」
 きょとんとした顔でルパンが問い掛けた。
「おま……い、いや、何でも!」
「ヘンなとっつぁん。て、それはいつもか」
 真っ赤になってそっぽを向いた銭形に、ルパンが小さく笑う。
 だが月明かりに照らされた彼の横顔は確かに彫刻めいて美しかった。
 その彫りの深さは確かにこの男が西洋の血を引いていることを思わせる。
 アルセーヌ・ルパンの血を引いている以上、それはフランスのものには違いなかろうが、その他は国籍不明、年齢不明、ICPOの調書には性別まで不明とされているのだ。
 確かにしばしば女性にも変装してみせるルパンだが、何度も服を脱ぎ捨てて逃走する彼を見ている銭形にしてみれば、いい加減その記述は修正して欲しいところなのだが。
 だが、とふと銭形は思う。
 もしもルパンが『彼』ではなく、『彼女』だったとしたら。
 そうしたら、彼と自分との関係は、何かが違っていただろうか。
「……何を考え込んでるわけ、とっつぁん?」
「わあっ!?」
 ふいに目の前で瞬いた瞳に、銭形はとんでもない悲鳴を上げて後じさった。
「何、それ? 傷つくなあ」
「ええいうるさい、そのサル顔を俺の前に出すなっ!」
「失礼しちゃうなあ。こんな男前捕まえて」
「誰が男前だ」
 そっぽを向くと、その耳元に笑いを含んだ声が囁いた。
「さっき『綺麗だな』とか言ったのは、どこの誰だっけ?」
「ば……っ!!」
 耳まで真っ赤になった銭形を、ルパンは興味深そうに眺める。
「とっつぁん、目が高いねえ」
「ここを出たら目医者に行く」
 開き直って、ふん、と銭形は腕を組んだ。
「必要ないって。あんたは見た目の美しさになんかごまかされやしないだろう?」
 自信たっぷりの笑み。
「だからあんたは俺を綺麗だと思う。たとえばこれが俺の素顔じゃないとしても」
「……何?」
 素顔ではない? 何の話だ。
 疑問が顔に出たのだろう、ルパンは銭形を見て笑った。
「祖父様は変装が大得意で、アルセーヌ・ルパンの冒険憚を書いた男はもちろん、手下だってその素顔は知らなかった。いろんな顔を持ちすぎて、案外本人もどれが自分の本当の顔だかわからなくなってたんじゃないかな」
「むなしいことだな」
「本当にそう思うかい?」
 ルパンの目が、闇の中で猫のように煌いた。
「そ……そりゃあそうだろう。自分で自分の本当の顔がわからなくなるなんざ……」
 その気配に圧倒されつつあることを隠そうとして、銭形は何とか口を開く。
 それに冷笑が応えた。
「いったい何が『本当』なんだい? あんたが見慣れたこの顔だって、『本当』じゃないかもしれないのに」
「それもお前の変装のひとつだというのか?」
 思わず叫ぶ。
 そんなことがあるだろうか。
 もしかしたら毎日見る鏡の中の顔よりもさえ、見慣れているかもしれないこの顔。
 いつもいつも、肌身離さず持ち歩いている指名手配用の写真におさまったそれが、素顔ではないなどと。
「さあどうかな」
 ルパンははぐらかすような笑みを浮かべた。
「俺はいろんな顔を着け替える、仮面みたいに。だがどれも俺には違いない。だとしたらどれが本当の顔かなんて、何の意味がある?」
 道化た仮面の下から、悪魔がちらりと顔をのぞかせる。
 これ以上踏み込んではいけないと、理性は警告しているのに。
「…………だが、俺は知りたい」
 お前の、本当の顔を。
 悪魔が満足げに笑った。
「なぜ?」
 ルパンの声が耳の奥に木霊する。
「それは―――」
 喉が渇き、ひっつれたように声が出ない。
「答えられない? それとも―――答えたくない?」
 この男は誰だろう、と痺れたような頭で考える。
 神出鬼没、大胆不敵な大泥棒。世界を幻惑する魔術師。女好きが珠に瑕な。
 自分が追っていたのは、その男だ。
 その男だけのはずだ。
 なのに、この男から目が離せない。
 その銭形の視線を、ルパンは目を眇めて受け止めた。
「じゃあ、俺が教えてやるよ」
 嫌だ、と答える間もなかった。
「あんたは俺に」
「止せ!」
 耳を塞いだ銭形の怒声が、ルパンの声に被さった。
 やれやれ、というようにルパンが肩を竦める。
「そんなことしたって、何もかわりやしないのに」
「うるさい!」
「だから俺を捕まえたいんだろう?」
「何を……お前は……」
 掠れる声は自分のものではないようだった。
「馬鹿だな」
 憐れむように、ルパンは笑った。
「あんたはとっくに、俺に囚われてるのに」
「何を馬鹿な」
「自覚がない?」
 足を組んでくつろぎきった姿勢。今なら掴みかかれば簡単に打ち倒すことができるだろうに、指一本動かすことができない。
「じゃあどうしてそんなに俺を捕まえたい? 警察官だからか?」
 頷きかけた銭形を、しかし揶揄するような声が遮った。
「それなら俺一人捕まえるより、残酷な罪を犯してる連中をたあくさん捕まえた方が世の中のためじゃないの? 強盗、誘拐、殺人……世の中はこんなにも悪意と哀しみに満ちているのにさ」
「それはお前を追うのを止める理由にはならん。誰かがお前を捕まえなけりゃならんのだ」
「それがあんたでなきゃいけない理由は?」
 ルパンが立ち上がる。
 静かに歩み寄ってくる男を、銭形はある種の畏怖と共に見つめた。
「他の誰かに任せて日本に戻り、結婚して子供を作って順当に出世し、定年退職して平穏な老後を送る。選ぼうと思えばそんな人生だってあんたは選べるのに、どうして地の果てまで俺を追う?」
 それは最後の審判の時。
 ラッパを吹き鳴らす天使が問う。
「どうして?」
 魂まで吸い込まれそうな黒い瞳。
 知らず、膝が震えた。
「……それが、俺の仕事だ」
 それでも絞りだした声に、ルパンは軽く目を見張った。
 足の爪にかけた獲物が、最後の抵抗を示したかのように。
「……本当に、あんたは」
 ルパンの手が、銭形のネクタイを掴んで引き寄せた。
「面白いな……」
 唇に触れた熱に、頭の中が真っ白になる。
 ぬるりと入り込んできた舌が何かを押し込んできて、銭形はぎょっとして男を突き飛ばした。
 しかし時遅く、それは流し込まれた蜜と一緒にごくりと音を立てて喉の奥に消える。
「なっ、何を飲ませた!」
「特製催眠剤。歯にしこんでおいたんだ」
 してやったりという顔でルパンは舌を出した。
 囚われた時に全身検められたはずなのにと、歯軋りする側から猛烈な眠気が襲ってきて、銭形は膝をついた。目の前が霞み始める。
「……面白いって言ったのは本当だけどな。あんたは俺から逃げ続ける、不二子と同じに。俺に惚れてるくせに、俺のものにはならないところが好きだぜ?」
 馬鹿な、と怒鳴ろうとしたが全身が痺れて声にならない。
 逃げ続けているのは、お前だ。
 そして。
 必死に手を伸ばして、その細い足首を掴む。
 捕まえるのは、この俺だ―――。
 そこで、意識が途切れた。


 足首を掴んだ手を傲然と見下ろして、怪盗は愉快そうな笑みを浮かべた。
 軽く足を振ってその手を外そうとするが、意外に強い力に首を傾げる。
「こういう必死なところが可愛いんだよね、とっつぁんは」
「趣味が悪いな」
 頭上からかかった声に、ルパンは顔を上げた。
 ひとつきりの窓に腰掛け見下ろしているのは、髭面の相棒だ。
「そうか?」
 見上げる瞳に、窓から覗く満月が映る。
 磨いた悪魔の鏡にも似た瞳から隠すよう、次元は帽子の鍔を引き下ろした。
「じきお迎えが来るぜ、準備はいいか?」
 ヘリの爆音がかすかに聞こえてくる。
「ん、ちょっと待っててな」
 ルパンは屈みこむと、足首に食い込んだ銭形の指をやさしく引き剥がした。
「あとは掠われちゃった俺のカノジョだけど……」
「そらよ」
 言葉と共に放られたワルサーP38を、危なげなく受け止める。
「さあすが次元ちゃん、手回しがいいこと」
「銭形のコルトまでは手が回らなかったがな」
「わざとだろ?」
「そこまでやってやる義理はねえな」
 次元の口元が少しばかり意地悪く歪む。
「連れていくんだろ?」
「ここに置いといたら殺されちゃうぜ、とっつぁん」
 ルパンが銭形の体を肩に担ぐ。
 正体のない男の重みに、少しよろけた。
 ひらりと、鴉のように黒い影が舞い降りる。
「貸せよ、お前にゃ無理だ」
「いいって。お前の手は空けときたいからな」
 ルパンは次元の手をやんわりと避けた。
「さて五右エ門ちゃんはそろそろかな?」
「ルパン」
 呼びかける声の調子に、ルパンが振り返る。
「もしも銭形がお前の言葉を認めて、共に来ると言ったらどうする気だったんだ?」
「―――捨てるさ」
 悪魔は、薄く笑った。
「これ以上、俺のものはいらない」
 次元はため息をついた。
「今度は殺されるぜ?」
「そのときは」
 す、とピストルの形を作った指が次元の胸に伸びた。
「お前が殺すさ」
「――――――」
 息を呑む次元に、ま、俺に殺される方が本望だろうけど、と冗談だったように笑う。
 だが胸の内を見透かされたようで、次元は動けなかった。
「ヘリが来たな」
 迫る爆音に、ルパンが窓を見上げる。
 同時に鋭い音が走り、目の前の壁が丸く切り取られた。
「五右エ門ちゃん、待ってたよ〜!」
 崩れ落ちた壁の向こう、風に髪をなびかせて立つ侍にルパンが歓声を上げる。
 近づいてくるヘリの操縦席から栗色の髪の女がウインクした。
 壁際に機体を寄せるヘリの爆音が鼓膜を震わせる。
「……ルパン!」
 銭形を抱え、穴に足をかけたルパンに思わず呼びかけた。
「『これ以上自分のものはいらない』と言ったな? お前が言う自分のものってのは、いったいなんだ」
 振り返ったルパンの肩から、先にヘリに乗り込んだ五右エ門が銭形を受け取る。
 身軽になった怪盗は、爆音の中苦笑した。
「それを、お前が聞くかな」
「ルパン」
 縋るように見上げた男の顔から、表情が仮面のように剥がれ落ちる。
「『そのとき』が来たら撃てよ、次元」
 死神の背筋を、ぞっと、冷たいものが走り抜けた。
「俺の掌から転がり落ちたくないなら、な……」
「――――――」
 一瞬、時が止まったようだった。
 悪魔との契約書にサインする時は、きっとこんなふうだろう。
 ヘリから伸びた縄梯子を掴んで、ルパンが手を差し伸べた。
 それは罪人に垂らされた蜘蛛の糸だろうか。
 それとも。
 だが次元は迷うことなく、その手を掴んだ。強く、強く。
 瞬く間に体が宙に舞う。
 暗い夜の底からヘリを目指して走る火線にコンバットマグナムで応えながら、次元はヘリの床に横たわる男を思って嘆息した。
 ―――ああ、俺たちは。
 結局は同類項。
 似たもの同士、同じ穴の狢。
 共に煉獄へと身を投げる。
 ふと見上げた視線の先、ヘリから見下ろす派手なジャケットの男の残酷な笑み。
「……お前は、本当は、誰も愛しちゃいないんだろう?」
 呟きはヘリの爆音と銃声に紛れ、風に千切れて夜の彼方へと消え去った。


「……頑張ってるねえ、次元ちゃん」
 絶え間なく続くマグナムの銃声に、ルパンは苦笑した。
「少し苛めすぎちゃったかな?」
 ふと振り返ると、床に転がされたトレンチコートの男の側に歩み寄る。
「そこいくと大物だよなあ、とっつぁんは」
 ヘリの爆音にも負けない豪快ないびきに、心底感心した笑みを見せて。
「……でも、アレは本気だよ?」
 しゃがみこむと、眠る銭形の無精髭の伸びた顎をそっと指先で撫でた。
「だからあんたは、ずっと俺を追い続けてなきゃならないんだ……ずっと、ずうっとね」
 ヘリは夜空を裂いて飛び続けている。
 そろそろ傷心の相棒を引き上げてやらなければならないだろう。
 それと入れ替わりにこの太平楽な男をどこへ突き落としてやろうかと、ルパンはわくわくした顔で窓の外を眺めやった。


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* 銭ルで始めたつもりが、なぜかル銭でしかもル次?(いや次ルのつもりなんだけど)
えーと、何しろワタクシ次ルの人なので、銭ル習作のつもりで始めたんですがなんでこおいうことに。
私は悪魔なルパンが好きらしいです。でも受けなので時々小悪魔(笑)。
でもルパンにとってとっつぁんは「自分に惚れてるから追いかけてくるくせに自分の仲間にはならない=自分のものにならない人」という意味で好きらしいです。不二子チャンも似たようなカンジ。
だけど自分のものになっっちゃったらイヤなの。何でも手に入るルパンにとっては、手に入らないものが楽しいんですね。
次元は別。全然別(笑)。でもそのことに気づかない次元がまたルパンは好きだったりするんだな。
なかなか複雑なのでした(笑)。