孤独の肖像

「孤独だぞ」
 老人は言った。
「お前は私に似ている。たった一人の息子よりもはるかにな。だからわかるだろう。……誰も、お前を理解することはないだろう。富も栄誉も力も、友も、愛する女も、お前は望むままに得ることができるだろう。憧れ崇めてくれる人間にもことかかぬだろう。だがそれでも、お前は孤独だろう」
「わかるよ」
 少年は老人を見つめた。
「確かにあなたと俺は似ている。だけど魂のありようが似ているからといって、孤独でなくなるわけじゃない。互いが孤独であることをただ理解できるだけだ」
「そのとおりだ」
 豪奢な寝台に埋もれ、老人は笑った。
「まったく、お前にはわかっているのだな。世界のありとあらゆる秘密が、冒険が、お前を待っているだろう。すべての扉はお前に開かれるのを待ち、お前の驚くべき冒険憚のその1ページに記されるのを待つだろう。お前は力と生命力に満ち、この世にできぬことなどないと思うだろう」
 雨あられと降る言葉を、少年は淡々と受け止めた。
 黒曜石の瞳には、何の感動も浮かんではいない。
「それはまだわからないよ。俺はまだ、子供だから」
「そう、私も子供の頃は無力だった」
 老人はしみじみと頷いた。
「この身と、決して諦めることを知らぬ魂のほかは何一つ持たなかったよ! そして母以外はまだ愛するものさえ持たなかった」
 そしてふと気づいたように少年を見やる。
「だがそれでも、母がいるゆえに私は本当に孤独ではなかったな。母は私を理解しなかったが……それでも愛していた。だから、孤独ではないと思っていた」
「理解してもらえなくても?」
「母とは特別なものだ」
 そして母の顔さえ知らぬ少年を慈愛に満ちた目で見つめた。
「母にとって私は異邦人であったろうが、それでも愛してくれた。私もまた、言葉の通じぬ異郷の人間も同じでありながら、母を愛していた。それが親子の愛というものだ。……私が孤独を知らなかったのは、ただあの頃だけだ」
「そう」
 少年の表情は幾らか冷たくなっていた。
「じゃああなたは、やっぱり俺とは違うんだね」
 老人は憐れみの瞳で、ただ一人、彼が後継者と認めた少年を見つめた。
「その言葉は今はまだとっておくがいい。お前はまだ幼く、あの母の愛に勝るとも劣らぬ無私の愛をお前に与えてくれるものが現れぬとは限らないのだから」
 少年は疑わしげに老人を見つめた。
 髪も瞳の色も違う、外見上は少しも似たところのない二人だったが、その瞳に宿る光と、何よりも身に纏う雰囲気そのものが、あまりにもはっきりと、二人の間の血の繋がりを示していた。
 老人のそれはやわらかでありながら鋼のように強く、少年のそれは鋭く硬質でありながらいまだどこかに脆さを秘めてはいたものの。
 老人は少年の小さな頭に皺だらけの手を乗せた。
「……お前が幸福であるよう、私は祈ろう。私の孫、ルパン三世よ」


***


「孤独だぞ」
 月光が滴るような満月の下、刑事は、青年怪盗に向かいそう言った。
「なぜお前は不可能に挑戦する? なぜ誰も彼も流されていく世界で、たったひとり立ち向かおうとする? そんなことをしたところで、誰もお前のことを賛美したりはしない。誰もお前を理解したりはしない。なのに、なぜ」
「妙なことを言うんだな、とっつぁん」
 月だけが見ている屋根の上、ルパンは投げ縄付きの手錠の嵌まった手をひらひらと振った。
「じゃああんたは、俺をそのくだらない世界とやらに一緒に沈めるために俺を捕まえようとしてるのかい? 俺を憐れんで?」
「馬鹿を言え」
 銭形はぐいと顔を上げた。
「お前を憐れむことなど、誰にもできはせんわい。またお前はそんなことを許しておく男でもあるまい。わしはただ警官として、泥棒などを許しておくことはできん。そしてそれ以上に、いつかお前が足をすくわれ、まっさかさまに小昏い淵に落ちてゆくのを見たくないだけだ」
「あんたはまるで」
 ルパンはかすかに苦い笑みを浮かべた。
「放蕩息子を持った父親みたいだな、とっつぁん」
「馬鹿を言え、わしはそんなトシではなーい!!」
 お前のようなでかい息子がいてたまるかと唾を飛ばしてわめく銭形に、ルパンは手錠を嵌められた手で耳を塞いだ。
「親切で言ったんだけどなあ。とっつぁんならいい父親になるって。俺なんか追っかけてないで、結婚して子供でも作ったら?」
「お前がおとなしくお縄をちょうだいしたらそうしてやるわい!」
 銭形が吠えて、手錠につけた縄を引っ張ろうとする。
「……実際、とっつぁんが俺の親父だったら、俺も少しは違ったかも」
「何?」
 ルパンの声に潜んだ何かに、銭形は思わず動きを止めた。
「昔、同じことを言った人がいたよ……『孤独だぞ』、ってね」
 声色を使ったルパンの声は、ひどくしゃがれていた。まるで老人のように。
 その後ろには、巨大な月。
 今の今まで纏っていた、洒脱で皮肉気な雰囲気さえ一瞬で脱ぎ捨てて。
「……ルパン?」
 月長石を彫り上げたような月を背負ったルパンの顔は、闇に沈んでいる。
 一瞬も目を離しはしなかったのに、いつの間にか彼が全くの別人に掏り替わってしまったような気がして、銭形は息を呑んだ。
 そのときかすかに、ルパンが笑った気配がした。
「あんたは俺を許せないし、俺はあんたのようにはなれない。……なのに時々……時々、それでもあんたが、俺を」
 ルパンがふっと言葉を切る。
 二人の間を、沈黙がよぎった。
「…………わしが、お前を? ……なんだというんだ」
 その問いは、まるで答えを聞きたくないというようにそっと押し出された。
 静かに、ルパンが首を横に振る。
「―――どっちにしろ、もう、時間切れだ」
「何?」
「俺が孤独かどうか、試してみるかい?」
 言葉と共に、夜空に一発の銃声が轟いた。
「うぉっ!?」
 ルパンと銭形とを繋いでいた縄が千切れ、バランスを崩した銭形が屋根の上でたたらを踏む。
 転がり落ちる寸前に何とか屋根の端にしがみついた銭形は、月を背に立つ黒い影を見た。
「次元!」
 銃口から煙の立ち昇るマグナムを抱いて立つ男に、ほっそりとした影が駆け寄る。
 難なく外された銀の手錠がすぐ横を滑り落ちてゆくのを見ながら、銭形は声を張り上げた。
「ルパン! 次元ならお前を、理解できるというのか!?」
 黒い影がまっすぐに自分を見詰め、風に乗って流れ着いた殺気に銭形は一瞬凍りついた。
 その剥き出しの牙にも似た男の胸の前にすっと腕を伸ばして制止したルパンが、銭形を見やる。
 わずかに月光が、その顔を照らし出した。
「いいんだよ」
 それは、ひどく淋しげな笑みだった。
「俺が、選んだんだから」
「――――――」
 銭形は不覚にも、一瞬、その笑みに見惚れた。
 はっと我に返った時には、ルパンも、それに従う黒い影も、屋根の向こうに消えている。
「待て、ルパン! 次元!」
 慌てて這い登り屋根の向こうを覗き込んだが、そこにはもうどこまでも続く寝静まった屋根の連なりと、その上に青白い光を投げかける月があるだけだ。
『―――俺が、選んだんだから』
 その言葉が、胸に甦る。
 選んだとは、何をだ。
 次元をか。
 それとも。
 ―――孤独を、か。

 ―――もしかしたら、あんたが、俺を。

 銭形はただ真白い月を見上げ、自分の胸の内から響くようなその声を聞いていた。


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*たまにはとっつぁん。とっつぁんは好きですが何しろウチは次ルなので(笑)。
ウチのとっつぁんとルパンの関係はかっこよければこんなカンジ。
でも銭×ルではありません(笑)。この二人の場合、親子愛に近いかなーと思ってるもんで。
袂をわかった親子。でも何しろ親子なので本質が似てたり互いに考えてることがわかったり、実は好きあってたりするんですね。勘当されても親子は親子(笑)。
そんでもって次元が娘を掠ってった彼氏ってカンジです(爆)。
とっつぁんがどんなに反対しても、ルパンが選んだのは次元なの。うん、しょうがないのよねって、本当に私は骨の髄まで次ル派なんだなと……。