誇り
「悪いが俺は降りる」 事の発端は、黒ずくめの男のそんな一言だった。 「何だって?」 ルパンが眉を顰めたのも無理もないことだったろう。 仕事の段取りはほとんど済み、あとは予告状を出し本番に臨むだけ、というところまで来ていたのだから。 「ちょっとばかりシスコまで行かなきゃならなくなった」 「サンフランシスコ〜? 馬鹿言え、それじゃとうてい仕事には間に合わねえじゃねえかよ」 ルパンが口を尖らせる。 「ああ、だから降りるって言ってるんだ。まだ予告状は出してないんだ、今から作戦を練りなおせば俺抜きでも充分やれるだろう?」 「……理由は?」 ルパンはそれには答えず目を眇めて相棒を見やった。 「こんな直前になって降りるなんて、何か不満でもあるってのか?」 「そういうわけじゃねえ」 次元は頭を下げるように、帽子の鍔を深く引き下げた。 「昔世話になった奴が、助けを求めてる。俺が行かなけりゃ、たぶん、あいつは死ぬ」 「……へええ」 ルパンの声が低く部屋を這った。 黙って成り行きを見守っていた五右エ門でさえはっとするような、昏い声。 「また、お前の悪い癖が出やがったな」 口の端を歪めて、ルパンは笑った。 「世界一のガンマンの腕を、昔のよしみとやらでほいほい貸し出して、相棒の俺には何もナシ?」 「ルパン」 五右エ門が思わず口を挟もうとするのを、次元は視線だけで制した。 「……お前には悪いと思ってる。だが俺は、恥知らずにだけはなりたかねえんだ」 たとえお前が、それを愚かだと言おうとも。 まっすぐに自分を見つめる男の瞳を見つめ返して、ルパンはふと口を開いた。 「じゃあ次元。……もし昔の仲間とやらを助けに行っている間に、俺が警察やらマフィアやらに狙われて絶体絶命、なんてことになったらお前はどうする?」 「――――――」 帽子の下からのぞく次元の目がわずかに見開かれる。 それに、ルパンは薄く笑った。 「ああ、答えなくてもいいさ。たとえ俺がどこか遠くで死にかかっていても、目の前で死にかかっている恩人を見捨てられるほどお前は冷たい男じゃねえからな」 くだらないたとえばなしさ、と。 答えられない次元に、立ち上がり背を向ける。 「じゃあこっちの計画は練りなおすとするさ。何、ルパン三世に不可能なんて言葉はないんだ。お前は心配せず、シスコでもどこでも行ってきな」 「……すまねえ、ルパン」 背中を向けたままひらひらと手を振って、ルパンは自分の寝室へ消えた。 手早く身支度を整えた次元は、そっとルパンの寝室のドアを叩いた。 だが待てど暮らせど返事はない。 もう夜も遅いとはいえ、宵っ張りのルパンにとっては宵の口も同然だ。 いぶかしみながら部屋のドアを開けると、ベッドが盛りあがっているのが見えた。 「……おい、ルパン?」 頭から毛布を被ってベッドに横たわる男に声をかける。 だが人影は身じろぎもしない。 床に転がったボトルが、自分が部屋に隠していたいちばんいいスコッチであることに気付いて、次元は思わず天を仰いだ。 まったく天下の大泥棒ともあろうものが、どうしてこう大人気ないのか。 「……俺は行くぜ、ルパン」 恐らくは夢の中で自分を盛大にののしっているだろう男に、それでも律儀に声をかける。 いや、彼が眠っているからこそ言えることかもしれないと次元は苦笑した。 「俺は本当は恩知らず、ただの卑怯者と呼ばれたってかまわねえ。俺ひとりで生きるならな。だが、俺は、お前の相棒だ」 丸まった背中に、淡々と語りかける。 「そんな卑怯者の俺がお前の側にいることを、たぶん俺自身が許せねえんだ」 世界一の怪盗、自由で誇り高い、アルセーヌ・ルパン三世の相棒と、自他共に認められる男でありたい。 そのために。 「……だが俺は死にゃしねえよ。俺が死ぬのは、お前の側と決めてるからな」 ただのたとえばなしさ、とルパンは言ったけれど。 「もしお前が危ないなら、世界中の誰が俺に助けを求めていようと知った事か。何もかも放り出して、俺はお前のもとに戻ってくるし……もし、万が一、間に合わなかったときは……」 自分の想像に、思わず煙草をくわえた唇が震えた。 本当は、ルパンの側を離れる度いつも胸をよぎる、昏いヴィジョン。 俺がいないところで、もし、お前が死んでしまったなら。 「……俺もすぐ追いかけて行くさ」 唇は、泣き笑いの形に歪んだ。 「今度は地獄を派手に騒がせてやろうぜ……二人で、な」 帽子を深く引き下げて、次元は一瞬、迷うように視線をさ迷わせた。 その頬に、別れの口接けを落としたいように。 だが結局は、そのまま踵を返した。 「……じゃあな、ルパン」 頭から毛布を被った人影は、ぴくりともしなかった。 次元が運転する車のテールランプが遠ざかる。 月を背負ったアジトの屋根に、それを見送る二つの影があった。 「ほんっと強情なんだよな、あの野郎」 「いたしかたあるまい」 屋根の上で座禅を組んだ五右エ門が、舌打ちしたルパンをたしなめた。 「……そもそもあの男がああも義理堅いのは、何よりおぬしが裏切りを許さぬ男だからということは、おぬしがいちばんよく知っているだろうに」 「……ふん」 ルパンが拗ねたようにそっぽをむく。 決して裏切りを許さないルパンの傷を、いちばんよく知っているのが次元だ。 だからこそ次元にとって、裏切りはもっとも重い罪なのだと。 わかってはいても、彼がいないことが単純に面白くないのだろう。 こと次元に関する限り、子供のようなところのあるルパンに、五右エ門は思わず苦笑した。 「次元なら心配はあるまい」 「心配なんかしてねえよ。あいつが死ぬ時は俺の側って決まってんだからな」 子供のように毒づくルパンに、それは結局惚気ではないかと言いかけて慌てて口を噤む。 本当に不機嫌になったルパンは、五右エ門の手には負えたものではないのだ。 ルパンはじっと次元の車が消えた方角を見やっている。 「ルパン、そろそろ……」 夜風が冷たいから戻った方がいい、と次元のようなことを言おうとした時。 「なあ、五右エ門」 ルパンがひょいと振り返った。 いつもの軽い口調で。 「今度の仕事なんだけどさあ、もうちょっと下調べが必要みたいなんだよねえ」 「……何?」 五右エ門は思わず眉を顰めた。 今朝の話ではすぐにも仕事に取り掛かれるようなことを言っていたはずなのだが。 「でー、俺は調べモノしてるから。お前サン、その間ちょっくら修行になんか行って来てくれていいんだよ?」 シスコなんかたまにはいいんじゃないかなー。 何気ないふうで、黒ずくめの相棒が向かった先を口にする。 「……修行か。それも悪くはないな」 思わず五右エ門は笑った。 「でしょ?」 ルパンがウインクする。 「たぶん、お前サンが戻るころには準備も終わってるから」 お前達が戻るまで、仕事するつもりはないから。 そう言外に告げられて、なおさら五右エ門は苦笑する。 おぬしが自分で行けばよかろうに、とは言わない。 次元がルパンの側に在りたいと願いながら自分の流儀を貫くのなら、どれほど胸が痛もうと―――たとえ本当に次元が命を落とすとしても、ルパンはその流儀を尊重する。 自分の生き方に誇りを持つ、本当の男同士だからこそ。 「まったくおぬしたちは、よい一対だ」 その声にはほんの少し、うらやましさとないまぜになった寂しさが滲んでいたかもしれない。 よせやい、とルパンは頬を掻いた。 「俺ひとりだって、仕事はできる。そういうふうに作戦を立てればいい。だけど、そうしないのは……」 「しないのは?」 五右エ門がつりこまれて尋ねる。 それにルパンは、子供のような笑みを返した。 「その方が、面白いからさ」 軽やかに飛び降りる影が、月を切り取る。 ルパンの形に切り取られた月光は、走り去る車のテールランプを追ってゆくようだった。 |
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*正月休みに思い付きで書き上げたSS。正味1時間てところでしょうか。 しかもすぐUPしてるのでいつもより文章更正ってか見なおしができてません……誤字脱字、ヘンな文章等あったらすいません。 いや『ヘミングウェイペーパー』とか、次元てばルパンにも何も言わず消えて仲間の敵討ちに行ったりしてるじゃないですか。そんでルパンがいなけりゃ危うくマッシュに殺されるトコだったし! そこまでして仁義を守らにゃならんのか? どうして!?とその理由を考えたら出来あがったのがこの話です。 『ワルサーP38』で傷つき、裏切りを許さないルパンに相応しい相棒であるためにより義理堅く! そんでもし本当にルパンが死んじゃったら絶対あとを追っちゃうんですよ!(もちろん復讐したあとだけど) 結局は死んでもラブラブということで(笑)。 |