あなたとデート

 ベッドに腰掛けシャツのボタンをはめながら、黒崎はちらりと窓際で煙草をふかしている神志名の横顔を見やった。
 眉間の皺のせいで、美味いと思って吸っているようには見えないが、いかにも不機嫌な男という額縁にはぴったりだ。
 寝た都度そんな顔をされるのでは普通たまったものではないが、黒崎は不思議と神志名のその横顔が好きだった。
 神志名が黒崎の視線に気づいたのか、ふと視線を投げてよこした。
 はっとして目を逸らすと、つくづくと横顔を見られて何となく落ち着かない気持ちになる。
 頬が火照って、まるで女子高生みたいだと自分を馬鹿みたいに感じたとき、神志名がぽつりと言った。
「お前、笑ったことあるのか」
「アンタに言われたくないね」
 いっつも眉間に皺寄せてるくせに。
 そう言うと、ふん、とくわえた煙草を抗議するように上向かせる。
「俺だって笑う」
「へえ」
「お前が見たことないだけだ」
 その言葉が自分でも予想外に胸に突き刺さって、思わず黙り込む。
「どうした?」
「……何でもない」
 じっと見つめている神志名の視線を感じて俯いたまま動けない。
 ―――こいつといると時々、自分が自分じゃなくなるみたいだ。
 危険な兆候だとわかっている。
 俺は、クロサギなのに―――。
「……お前、無職だな?」
「あ?」
 突然の言葉についていきかねる。
「無職だろ?」
「馬鹿言え、立派な自営業者だ。アパート経営してるだろ」
「ああ」
 本当に忘れていたという顔で神志名が頷く。
「どこのシロサギから巻き上げたんだか」
「余計なお世話だ」
 ちょっとばかり似たような経緯はあるが警察にとやかく言われるような物件ではない。
「どっちにしろ毎日が日曜のようなもんだろ」
「……まあ否定はしないけど」
 小さなアパートでは大家の仕事などほとんどない。
「今度の木曜」
「木曜がどうした?」
「非番だ」
「へえ」
 まだ話が見えないでいると、神志名がぶっきらぼうに口を開いた。
「……どこか行くか?」
「え?」
「映画とか……ドライブとか」
「デートコースかよ」
 反射的に言い返してから自分でぎょっとした。
 もしかしなくてもこれは、デートの誘いなのだろうか。
「馬鹿言え」
 神志名もそう返してきたが、ほんの少し耳が赤いのに黒崎はうろたえた。
「ただ、いつも薄暗い部屋で顔つきあわせてるのもどうかと思っただけだ」
「そりゃ目的が目的だからな」
 思わず苦笑する。
 体だけの関係―――それなら確かにホテルの薄暗い部屋で会うだけで十分だ。
 そう断るのは簡単だった。
 だがそれを言うなら、そもそも体だけの関係に、この相手でなければならない理由が見つからない。
「……何企んでる?」
「お前な……」
 神志名が呆れた顔をした。
「ただ小生意気な小僧の馬鹿笑いを拝んでみようかと思ってな」
「俺が笑うわけないだろ」
 皮肉な笑みが浮かぶ。
 もう何年も、心の底から笑ったことなどない―――家族が永遠に失われたあの日から。
 否、その数ヶ月前からもう家に笑い声が響くことなどなかった。
 思うようにいかない事業に家の空気は次第に重くなり、やがて始まった闇金融の取立ては家庭を木っ端微塵にした。
 あれから、作り笑いを浮かべることができるようになるまでも何年もかかった。
 今でも、シロサギを喰うことに成功して笑うことはあるが、子供時代のような心から満ち足りて笑ったことは一度もない。
 神志名はその皮肉げな笑みを見ていたが。
「笑えるようになる方法がひとつだけあるぞ」
「何だよ?」
「―――俺に捕まることだ」
 にやりと笑われて、一瞬呆気にとられた。
「…………」
「どうした?」
「く……っはっはっは」
 黒崎は腹を抱えて笑い出していた。
「何笑ってんだお前!」
 神志名がどう反応していいかわからないように戸惑いながらも怒ってみせる。
「いや……だって、あんた……」
 本気で笑いすぎで涙が出て、自分で吃驚してしまう。
「そのためにはまず、被害届を出してくれるシロサギを見つけないとさあ」
「そのうち見つけてやるよ」
 司法取引制度が認められればとか何とか神志名は呟いていたが、黒崎はそれも聞き流してまだ笑っていた。
 ―――刑務所に入ったぐらいで、あの男への憎しみが消えるとでも?
 そんなふうに思っている神志名がおめでたくて、そして愛しかった。
 本当に彼に捕まって、それで全部消えたなら。
「……アンタ、車持ってんの?」
 涙を拭いながら尋ねる。
「いや」
「じゃ、無難に映画にしとこうぜ。いきなりアンタと車でふたりっきりってのも怖いし」
「令状さえあればそのまま署に連行してやるんだがな」
「はいはい」
 笑い流して、黒崎はコートを取り立ち上がった。
「んじゃせいぜい『ぴあ』でも見て、めぼしい映画を探しとくよ。デートコースにふさわしい奴を」
「決まったら連絡しろ」
「了解」
 いつもと変わらぬ情事のあとのやりとり。
 だがもう笑い顔なら見たんだからもういいだろうとはどちらも言わなかった。

*ふたりはどんな映画が好きなんでしょうね。
黒崎はわりと普通にエンターテイメント系超大作映画とか好きそう。
神志名が意外に恋愛モノとか好きだったら面白いな(笑)。
でも相手が黒崎じゃそんなこと言えなくて、間を取ってマイナー系の映画館入っちゃって二人して頭くっつけて寝てたりしたら最高だと思う……!


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