Star Dust

 ポケットの携帯電話が鳴り、雑踏を歩いていた黒崎は発信人の名前に眉を顰めてそれを耳に当てた。
「もしもし?」
『俺だ』
 電話回線を通すとわずかに低くなる声。
 振り込め詐欺じゃあるまいし、名乗るくらいは出来ないのかといつも思うが、口には出さない。
『今日は都合が悪くなった』
「あっ、そ」
 素っ気ない答えに向こうは一瞬沈黙したが。
『また連絡する』
 それだけ言って切れてしまった携帯電話をしばし見つめる。
 ちぇ、と舌打ちして黒崎は電話をポケットにしまった。
 先週に続いて2度目のドタキャンだ。
 夕飯は久しぶりにまともなものが食えると思っていたのに、今日もコンビニ弁当か―――このがっかりした気分はそのせいだと自分に言い聞かせながら歩く。
 ちょうど『仕事』もなくて暇な日だった。
 天気もよく、昼下がりの街は道を急ぐ人々で溢れている。
 目的を持って歩く人々。
 行くべき場所がある人々。
 ―――俺だけが、行くべき場所も帰るべき家も持たず、誰かが間違って落としたインクの染みのように、この世界に暗い影を落としている。
 ふと浮かんだ考えに自嘲の笑みを浮かべ、踵を返そうとした時だった。
 反対側の歩道を歩いてくる見覚えのある姿にはっと立ち止まる。
 夏でもきっちりネクタイを締めて歩く長身の男。
 色素の薄い癖毛と、眉間に寄った皺がトレードマークだが、今ばかりはその皺も薄くなっている。
 理由が傍らにある美女だと推測するのはそう難しくない。
 キャリアウーマン風のスーツから察するに仕事関係の女性なのだろうが、やわらかな笑顔を向けられて仏頂面でいられる男はいるものではない。
 わかってはいても、なんとなくムカついた。
「『都合』ってそういうことかよ……」

***

「機嫌が悪いな」
 ホテルに入ってから言われる台詞ではない。
 それくらい飯食ってるときに気付けよ馬鹿、と思う。
 だがそれでものこのことホテルまでついてきたからには、こっちだってその気なのだ。
 だから「別に……」と答えてさっさと上着を脱ぎ始めたが、神志名の方はむっとしたようにソファに腰を下ろしてしまう。
「ヤらないのか?」
 ネクタイを緩め煙草に火をつけた神志名はじろりと黒崎を睨み返した。
「乗り気じゃない奴に無理強いするほど飢えてない」
「別に乗り気じゃないってわけじゃ……」
「じゃなんでそんなツラしてる?」
「俺の仏頂面はいつものことだろ」
 いつもアンタがそういうんじゃないか、と言っても神志名の眉間の皺は消えない。
「俺が何かしたか?」
「…………」
「それともまた俺に知られちゃマズいことでもやってるのか?」
 その台詞にかっと頭に血が上った。
「それはアンタの方だろ!」
「何?」
 驚いた神志名の顔にはっと我に返る。
 神志名が言ったのは『クロサギ』の仕事のことだ。わかりきったことなのに、うっかりと口を滑らせてしまった。
「どういう意味だ?」
「ここじゃ『仕事』の話はしないのがルールだろ、『警部補殿』」
 警察官と詐欺師、追うものと追われるもの。
 どうやったって相容れないふたりだから、ここでは『仕事』には触れないのがこんな関係になってからのふたりのルールだった。
 慌てて取り繕ったものの、神志名は黒崎の真意を窺うようにじっと見詰めてくる。
 その視線に居たたまれなくなるが、目を逸らせば嘘だと白状したようなものだから黒崎は拳を握り締めて耐えた。
 やがてふん、と鼻を鳴らして神志名の方が目を逸らす。
 黒崎はほっと息を吐き出したが、神志名が新しい煙草に火を点けるのを見て顔を顰めた。
「なあ……ほんとにヤらないのかよ」
「お前はヤりたいのか?」
 訊かれてぐっと言葉に詰まる。
 その顔を見て神志名が溜息をついた。
「ほらな」
「おい……」
「今日は帰れ。また連絡する」
 その言葉に胸が抉られた。
『こちらから連絡する』とは言い換えれば、黒崎からは連絡するな―――ということだ。
 相手は警察官で、携帯電話といえど誰が聞いているかわからないのだから当然のことかもしれない。
 だがそれでは自分はいったいこの男の何なのか―――自分にとってはこの男が何なのかもわかりかねているくせに、そんな想いが胸を過ぎる。
「キャリアの警部補殿は忙しいらしいな―――美女と過ごす時間はあっても、乗り気じゃない詐欺師をその気にさせてる時間はないってわけか」
「何?」
「教えてやるよ、『その気にさせる方法』って奴を」
 黒崎は訝しげな神志名に歩み寄ると、その足元に膝をついた。
「おい!?」
 膝の間に体をねじ入れて閉じられない様にし、ベルトに手をかけ素早く外す。
 神志名の手が引き剥がそうと頭にかかるが、構わずファスナーを下ろして神志名のものを外へ引き出した。
「待て、ちょ……」
 慌てる神志名を尻目に、黒崎は目を瞑ってそれに唇を寄せた。
 こんなことをするのは初めてだったが、神志名が息を飲む気配を感じて機嫌をよくし、思い切って舐めあげる。
 指を使って根元を愛撫しながら、飴を舐める要領で舐め回し、先端を吸いあげると神志名のそれは瞬く間に固く立ち上がり先走りを零し始める。
 あいにくと飴玉のように甘くはないそれに顔を顰めながら、この様子じゃ、あの女とは寝てないのかなとちらりと思った。
「……っ、もう、いい」
 掠れた声と共に乱暴に後ろ髪を掴んで引き剥がされる。
 その痛みに黒崎は顔を顰めた。
「痛ぇな、ハゲになったらどうす……」
 言い終わる前に、胸倉を掴まれベッドに放り投げられる。
 のしかかってくる神志名の余裕のない顔に、知らず笑みが浮かんだ。
 ―――アンタしか、俺に触れる奴はいないんだよ。
 その背中に手を回して引き寄せ、黒崎は胸のうちで呟いた。


 神志名と寝るたび、こいつ本当にキャリアかよ―――と思う。
 毎日道場通いしている肉体派警官並の体力だ。
 初対面で自分をボコボコにしてくれた手並みといい、荒事に縁のないキャリア様とは到底思えない。
 神志名いわく「お前がひ弱すぎるんだ」とのことだが、そもそも腕力に自信のある人間は詐欺師になったりしないものだ。
 そんなわけで今回も、自分から仕掛けたとはいえいつもより激しいセックスに黒崎は終わったあともぐったりとベッドに沈み込んでいた。
 さっさとシャワーを済ませ身づくろい中の神志名が「しょうがない奴だ」と呟いたが、そんなことはもうどうでもよかった。
 ひたすら眠くてウトウトしかかった時、神志名の携帯電話が鳴り出して意識が現実に引き戻される。
「神志名です。……ああ、君か」
 その幾分柔らかくなったトーンに、猫のように黒崎の耳がピクリと動いた。
「動いた? ―――わかった、すぐ戻る」
 携帯を切った神志名がちらりと黒崎を見て小さく呟いた。
「……お前の言ってた美女ってのはたぶん、今の電話の相手のことだろうな。ここ2週間ほど合同捜査してた西署の女刑事だ」
「…………」
 さっきの言葉、覚えてやがったのかと黒崎は密かに赤くなる。
 神志名には背を向けているからわからないとは思うが。
「ついでに教えといてやると人妻だ。残念ながら」
 神志名がブローが上手く行かず跳ねた前髪を摘んで呟く。
「捜査本部が出来て仕事が詰まってたから、2度もキャンセルして悪かったな」
 そういうことは会ってすぐ言え、と黒崎は胸の中で毒付いた。
「仕事が入ったから俺はもう出るが……」
 一瞬の間。
「……妬いたなら素直に言え。でなけりゃ俺はお前を疑うしか出来ないぞ。お前は、俺の大嫌いな、詐欺師なんだからな」
 それだけ言って、神志名は部屋を出て行った。
「―――わかってるさ」
 ひとり取り残された黒崎は、枕の端を掴んで小さく呟いた。
「俺は詐欺師でアンタは警察官だ―――信じてなんかくれっこない」
 ―――もしも俺が、アンタに惚れてるなんて言ったところで、あんたは俺を信じない。
 そんな関係でないことは誰より互いが一番よく知っている。
 けれど、それでも。
 ―――俺に触れるのは、アンタだけなんだよ。
 『詐欺師』に人生を根っこから引っくり返されてしまったふたり。
 そうでありながら、互いにその『詐欺師』に報復するために正反対の道を選んだふたり―――。
 同情でもなく連帯でもなく、愛情でもない。
 なのにふたりの間に確かにある何かを、自分は失いたくないと思っている。
「何なんだろうな、これは―――」
 黒崎は枕の上に頬杖をついて呟いた。 
 

*ネタ元は鬼束ちひろ『流星群』です。「あなたが触れない私なら無いのと同じだから」ってめちゃくちゃカシクロですよね!
いやまあカシクロ妄想は今後SSで発散しますので今は多くは語りませんが(笑)。
しかし最近、私のカシクロって世間のカシクロと違うことに気付きました……。


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