Beginning+
「いらっしゃい」 ドアを開けた神志名を認めて黒崎は声をあげた。 彼とこの部屋で寝てから3度目の訪問。 とはいえ2度目は腰が痛くて動けない黒崎にコンビニ弁当を届けてくれただけで、ほんの30分ほどで帰っていった。 だから神志名が黒崎と関係を続ける気があるかどうかは、正直まだわからない。 今日の呼び出しに応えてこうしてやってきたのも、「二度と関わるな」と宣言するためかもしれない。 だから黒崎としてはほんの少し緊張して、でもそうと悟られないよう装って声をかけたのだが。 「…………」 神志名はむっつりと上がり口に立ったまま黒崎を見つめている。 いつもより眉間の皺が深い。 これは縁切り宣言かな、と黒崎も顔を顰めたとき。 「このへんに手ごろなホテルはあるか?」 「え?」 「なきゃ俺の部屋でも構わん。仕度しろ」 「え? え?」 混乱して見上げるばかりの黒崎に神志名が責めるような視線を向ける。 「『そのつもり』で呼び出したんじゃないのか?」 「あ……いや、あってる、けど……」 突然の展開についていけないだけだ。 「ここじゃダメなのかよ?」 まだ警戒している黒崎としては、自分のテリトリーの方がいい。 だが神志名は鼻の頭にまで皺を寄せ、顎を右へしゃくった。 「隣の部屋に明りがついてた」 「隣?」 「隣はあの女子大生だろ?」 神志名の言葉に黒崎が固まる。 「アンタ、あいつを知ってるのか?」 「1度ここへ聞き込みに来た」 話が長くなりそうだと思ったのか、神志名は煙草をくわえ火をつけた。 「その後ちょっとした事件で署で見かけて気になってな―――検事志望だそうだな」 「…………」 神志名がどこまで知っているのかわからず、黒崎は黙り込む。 こういう場合は相手にまず情報を吐き出させることだ。 神志名は出し惜しみする気はないらしく、淡々と続ける。 「お前の正体も知ってる―――それなのに、お前に特別な感情を持ってる」 「気のせいだろ」 「俺にはそうは言わなかった」 黒崎は俯き唇を噛んだ。 神志名はじっとそれを見つめていたが。 「―――お前に惚れても無駄だと言ったんだがな」 「……え?」 意外な言葉に黒崎が弾かれたように顔を上げる。 「彼女はお前を救いたいと思ってるんだろうが―――お前には余計なお世話って奴だ」 紫煙をくゆらせて神志名は黒崎を見下ろしていた。 その目には同情も、蔑みも、理解しているという振りをする偽善の色もない。 「お前は『線の向こう側』で生きることを選んだ。大抵の犯罪被害者のように傷を忘れ新しい人生を生きる代わりに、自分を傷つけた連中を傷つけ返す道をな。俺はそれは間違ってると思うが、お前だってそんなことは百も承知で、だが他にどうしようもなくて選んだ道だろう」 「かし……」 「だから俺に出来るのは、お前を逮捕することだけだ」 宣言するように告げて、神志名は携帯灰皿を取り出し煙草を消した。 ああ、こいつ育ちがいいんだなと感心した黒崎は、同時に、彼の出生の秘密を知っていることを思って少し後ろめたい気持ちになった。 だがそれも束の間、不機嫌に怒鳴りつけられる。 「いつまで俺をここに立たせとく気だ? 着替えるなら早くしろ」 「ええと」 つまりどういうことかというと。 「……このアパート、そんなに壁薄くないけど?」 「俺が嫌だ」 きっぱりと返される。 これはもしかすると亭主関白タイプかもしれない―――黒崎はちょっと自分の選択を後悔しそうになった。 それに神志名が厳しい目で問う。 「お前は平気なのか?」 「―――そんなこと気にしてたら、この稼業はやってられないだろ」 自分の言葉がほんの少し辛くて、黒崎は俯いた。 でもアンタのその甘さは嫌いじゃない。 胸の中で呟く。 アンタのその、俺を憎んでるくせにほっとけない、ペパーミントキャンディみたいな冷たい甘さが。 「……アンタの部屋、行ってみたいな」 「犬は平気か?」 ベッドに放り出してあったジャケットを取り立ち上がると意外なことを言われた。 「アンタ犬飼ってんのか? どんな奴?」 「ドーベルマン」 「それは……アンタらしいっていうかなんていうか……」 「どうする?」 「噛みつかないなら行くよ」 「お前よりよっぽど躾は出来てる」 「失礼だなアンタ」 そんな軽口を叩きながら二人で部屋を出る。 後ろ手に閉めたドアの向こう、自分の部屋に何か重い荷物を置いてこれた気がした。 |
*カシクロお初のオマケ編です。 氷柱ちゃんて実際、黒崎にとっては存在自体が重荷だろうと思うのですけどね。 嫌いじゃないのですが私はあくまでカシクロ派なので(笑)。 |
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