スイート・メモリー

「アンタ、今度の水曜非番だって言ってたよな」
「何の話だ?」
 神志名は憮然として問い返した。
 黒崎が突然電話してきて「大事な話がある」と署からそれほど遠くない喫茶店に呼び出されたのだが、本来仕事中の時間だ。
 署の近くということで、知り合いが通りかかる可能性もないではない。
 詐欺師専門の詐欺師と会っているところを見られても別に不都合があるわけではないが、気分はよくない。
 早く用件を言え、と急かすと冒頭の台詞になったわけだ。
「招待券を手に入れたんだよ」
「……何の?」
 ひどく嫌な予感がした。
「カフェ・オーベルジュのスイーツバイキング!今すっげえ人気で、2時間待ち当たり前なんだぜ」
 それがこの招待券ですぐ入れる上にタダなのだと黒崎はこれ以上ないほど浮かれた調子でまくしたてた。
「ただ、平日限定だけどね」
 神志名はコーヒーカップに口をつけたまま固まった。
「…………まさかと思うが」
「一緒に行こうぜ」
「断る」
 神志名の強い声に周囲の客たちが一瞬振り返った。
 黒崎だけがきょとんとした顔で見返す。
「え、何で?」
「なぜ俺がお前とケーキバイキングに行かなきゃいけない?」
「別にケーキばっかじゃないぜ。パスタとかサンドイッチとかもあるから大丈夫」
「そういう問題じゃない」
「だってアンタ、暇だろ?」
 かなり失礼な台詞にじろりと睨みつけるが、黒崎はどこ吹く風だった。
「……大体そういうのは、女と行くものだろう」
 ケーキバイキングに男ふたりなど、想像しただけで背筋が寒くなる。
「女と同伴じゃなけりゃ男は入れないところもあったはずだ」
「まあ、あるけどここは大丈夫」
 答えた黒崎は、ふと気づいたようにふうん、と鼻を鳴らした。
「何だ?」
「行ったことあるんだ?」
「……まあな」
「女と?」
 当たり前だ、と言おうとして言葉に詰まる。
 黒崎とは寝ているが別に付き合っているわけではないし、恋人にせがまれてホテルのケーキバイキングに行ったのは学生時代の話だ。
 気まずく思う必要などないのに、神志名は黒崎から目を逸らした。
「ふーん……」
 もう一度黒崎が呟く。
 さきほどまでの浮かれた表情が消えてしまったのが自分のせいのようで、神志名はいたたまれなくなった。
「用はそれだけか?」
 なら、と立ち上がろうとすると、「待てよ」と声をかけられる。
「何だ?」
「賭けをしないか」
「賭け?」
 意外な言葉に向き直ると、黒崎はにやりと笑った。
「そう。次にこの店に入ってくるのが男か女か」
「……賭けるのは?」
「俺が勝ったら、アンタはケーキバイキングに付き合う」
 まあそう来るだろうと思った。
「俺が勝ったら?」
「アンタが勝ったら……」
 そこで黒崎は考えてもみなかったというように小首を傾げた。
「アンタの願いを何でもひとつ聞いてやるよ」
「俺の願いはお前がとっととムショに入ることだけなんだがな」
 こんな賭けは成立しない、と断れば済むことだった。
 だが神志名は、ひどく嬉しそうだった黒崎の顔を曇らせたことに幾ばくかの罪悪感を感じていた。
 そんな必要はないのだが、これが情が移るということだろうか。
 神志名はため息をついた。
「……俺が先に選んでいいんだろうな?」
「仕方ないよな」
 黒崎が少し渋い顔で頷く。
 神志名としてはケーキバイキングに付き合う気などさらさらなかったが、賭けに負けたという形なら黒崎も納得するだろうし、神志名としても無下に断ったわけではないから気が楽になる。
 神志名はちらりと店内に目をやった。
「……男だ」
「じゃ俺は当然女だな」
 黒崎がにやりと笑う。
 それに何となく嫌な予感がした瞬間、店のドアに吊り下げられたベルがちりんと鳴って、ふたりは反射的に目をやった。
 明るい笑い声と共に、4人組の女性が入ってくる。
 声も出ない神志名に、黒崎は片目を瞑ってみせた。
「約束は守ってくれるよな」
「あ……ああ」
 神志名が呆然と頷きかけたとき、またドアが開いて今度は女性の二人連れが入ってきた。
 次も、その次もそのまた次も、女性ばかり続々と入ってくる。
「何だ?」
 ケーキバイキングのことも忘れて神志名は呟いた。
 先ほどまでは明らかに時間つぶしのサラリーマンばかりだったのに。
 黒崎が笑った。
「この店、3時から女性限定ケーキバイキングやってるんだよね」
「何だと!?」
 思わず立ち上がる。
 喫茶店の時計はちょうど3時を過ぎたところだった。
「ちゃあんと入口のボードに書いてあっただろ?」
 確かにカラフルなチョークで色々書かれたボードが外に置いてあったが、「今日のおすすめ」の類だろうとたいして注意は払わなかった。
「詐欺だ!」
「俺が詐欺師だってことは端から知ってるだろ?」
 黒崎は苦笑した。
「じゃ、水曜の午後1時に、駅前で」
 自分の分のコーヒー代を置いて立ち去っていく黒崎の後姿を目で追う。
 後姿でも、足取りが軽く浮かれているのがわかった。
「くそ」
 その姿がドアの向こうに消えると、神志名は忌々しげに残ったコーヒーに手を伸ばした。
 黒崎は最初からこの賭けに持ち込もうとしていたに違いない。
 先に神志名に男か女か選ばせたのも計算のうちだろう。
 店内はあのとき男ばかりだったし、黒崎も神志名が先に選ぶことに嫌だが仕方ないという態度を取った。
 ―――俺はまんまとハメられたわけだ。
 そこまでして、ケーキバイキングに行きたいのだろうか。
 ……行きたいんだろうな、と神志名はため息をついた。
 そして黒崎に、付き合ってくれるような恋人や友人がいないことはわかっている。
 男ひとりのケーキバイキングは、男ふたりのそれよりずっと奇異だろう。
 ちらりと黒崎の部屋の隣の女子大生の顔が頭に浮かんだが、ふたりが差し向かいで楽しげにケーキを食べている姿を想像すると何となくむかついたのでその案は却下した。
 ―――騙されたのであろうと、賭けは賭けだ。
 神志名はもう一度ため息をつき、黒崎が最後にテーブルの上に置いていったチケットを背広のポケットに滑り込ませた。


*甘いもの好きの女子高生が出てくるミステリを読んだのでふと(笑)。
ケーキを山盛り食ってる黒崎の前で神志名がそっぽむいて
煙草とか吸ってたら超萌える……!


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