黒と茶の幻想

 ベッドに寝転がった黒崎は、隣で煙草を吸っている神志名の好き勝手跳ねている髪の房をつまんだりひっぱったりしていた。
「こら、じゃれるな。猫みたいな奴だな」
 神志名が眉を顰めるが気にしない。
「アンタの髪、かなり茶色いよな。染めてんの?」
「わけないだろ。生まれつきだ」
「だよなあ、警察キャリアが茶髪じゃいくらなんでもまずいよな」
 なおも軽口を叩きながら神志名の髪をもてあそぶ黒崎の指を、神志名は軽く頭を振って払いのけた。
 黒崎はちぇ、と子供のように口を尖らせたが。
「でもその色じゃ、学生の頃は苦労したんじゃないの?」
「ガキの頃はそんなに茶色くなかった。目立つようになったのは高校に入ってからで……」
「黒く染めろとか言われなかったのか? アンタ、けっこういい学校行ってたんだろ?」
 有名私大卒でコクイチに受かる神志名のことだ、おそらく高校も名門と言われる進学校だろうと思ったのだが、返事は案の定、黒崎も知っているような超有名校だった。
「けど別に黒くしろとは言われなかった。そんなに校則は厳しくなかったし、俺は学校の信頼が篤かったんでな」
「あーそう」
 よく言うよ、と軽く流すが、実際のところそうだったんだろうなと黒崎は思う。
 おそらく神志名は幸せな学生時代を送ったのだろう。
 勉強一本槍の堅物ではなく、たくさんの友人に恵まれて。
 そうでなくて、正真正銘のエリートコースの入口のコクイチに受かって、警察に入ろうと考える人間などあまりいるものではない。
 しかも研修中とはいえ、現場を自分で歩き回るキャリアなど。
 ―――本気で『警察官』をやる気なんだよな、こいつは。
 少し苦い想いを噛み締めた時、神志名がふいに黒崎の髪に触れてぎょっとする。
「な、何だよ!?」
「お前は真っ黒だな。目も、髪も……服も」
 床に脱ぎ捨てられた服にちらりと視線を落として神志名が言う。
 確かに、芝居用のスーツ等はともかく、私服は圧倒的に黒が多かった。
「……落ち着くんだよ」
 俺はクロサギだから。
 目も、髪も、腹の中も真っ黒だから。
 声にしない言葉に気づいたのかどうか、神志名はさっき黒崎がしていたように黒崎の髪をひと房つまんでひっぱったりしている。
 神志名よりずっと短いので指に絡めるのは上手く行かなかったが。
「お前はどんなガキだったんだ?」
「え?」
「俺だけ話したんじゃ不公平だろ」
 たいしたことは話してないくせに、と思ったが口にはしなかった。
 昔のことは滅多に思い出さない。
 思い出さないようにしている。
 記憶に潰されてしまいそうになるからだ。
 だが今なら―――傍らに誰かがいてくれる今なら、大丈夫だと思った。
 それが神志名だからかどうかは深く考えずに、ただ、たまには思い出してやらないと昔の自分がいなくなってしまう気がして、黒崎はためらいながら記憶を辿った。
「……普通のガキだったよ。高校は、すぐやめちまったけど……中学までは、どこにでもいる、勉強もスポーツもそこそこの……普通の、目立たない……」
 勉強は好きではなかったけれど成績は中の上くらい、体を動かすのは好きだが運動はクラブ活動と、昼休みにクラスメイトと野球をやるくらい。
 家族は両親と妹がひとり、家は彼が小学生になった頃ローンで買った一戸建てで、妹がもうお兄ちゃんと相部屋は嫌だと騒いだのは小学4年の時だったか。
 初めて女の子をいいなと思ったのは中学2年の時で、いつも教壇の花瓶に花を持ってくる園芸部の子だった。
 そんな、本当にごく普通の。
「……おい」
「あ?」
 神志名の焦った声に、現実に引き戻される。
 それで初めて、頬が濡れていることに気づいた。
「……見るなよ!」
 慌てて頬を拭い、背を向けようとするが、肩を掴んだ神志名に引き戻された。
「ばっ……」
 馬鹿野郎、と怒鳴る前に強引に神志名の胸に顔を埋める格好で抱き寄せられる。
「これなら見えないだろ」
 同じベッドで寝てるのにひとりで泣かれる身にもなれ、と神志名はぼやくように呟いた。
 やさしくされるのが嫌いな黒崎のための言い訳。
 そう知っているけれど気づかない振りをして、黒崎は目の前の男にしがみつく。
 ひととおり涙を流してから、顔を上げずに囁いた。
「……アンタ、目もけっこう色素薄いよな」
「目?」
「今度、サングラス買ってやるよ……ヤクザにしか見えない奴」
「嫌がらせか?」
 顎の下の黒髪をもてあそびながら神志名が聞き返す。
「そんなようなもん……」
「おい? 寝るのか?」
 他人のぬくもりがこんなに心地いいなんて忘れていた。
 猫が眠る時、必ず黒崎の体のどこかにくっついて寝たがる気持ちがよくわかる。
 ―――だけどアンタに、その目で俺を見られたくないんだよ。
 色の薄い、光に透ける綺麗な目で。
 そこに映る俺は、光を吸い込むくらい真っ黒だから。
 ―――でもサングラスをかけたら少しくらい、俺の黒も目立たなくなるかもしれないだろ?
 半分寝ぼけた頭でそんなことを考えながら、黒崎はそのまま夢の世界に引き込まれていった。

*神志名の茶髪はキャラとして黒崎との対比だと思いますが、実際あの髪でキャリアってどうなんだろうと思ってこんなお話が出来ました(笑)。
しかし段々ラブラブ度上がってるよねこのふたり……。
タイトルは恩田陸の小説から。


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