言えない言葉
周囲に人がいないことをもう一度確認して、目的の部屋のインターホンを押す。 『はい?』 「俺だけど」 『今開ける』 オートロックが解除されて、黒崎は小奇麗なマンションのホールに足を踏み入れた。 ペット可のマンションは女性が多いせいか照明がやわらかく、黒崎はいつも訪問先の男には似合わない住まいだなと思う。 エレベーターに乗り目的の階で降りると、人気が無いことをさらに確認して訪問先のドアの前に立った。 インターホンを鳴らそうと指を伸ばした瞬間、いきなりドアが開いて、黒崎は危うく鼻をぶつけそうになった。 飛び出してきた小柄な体をとっさに受け止める。 「すみません」 女性が反射的に上げた顔は涙で濡れていて、驚いたのも束の間、女性はあっという間に廊下を駆けていった。 代わって入口に顔を出したのは、無愛想なこの部屋の主だ。 「何ぼさっと突っ立ってる。早く入れ」 「追いかけなくていいわけ?」 神志名は軽く眉を上げることで答えに代えた。 つまり、余計なお世話、だ。 黒崎は肩をすくめて部屋に入った。 「よう」 部屋の隅から顔を出し、途端に嬉しげに尻尾を振りながら走り寄ってきた犬の背中をさすってやる。 「よしよし、修羅場は辛かっただろ」 「犬にかこつけて嫌味を言うのはよせ」 神志名が苦りきった顔で言う。 「じゃあストレートに聞くけど、今のはカノジョ?」 「学生時代に付き合ってた」 さらりと言われて、さきほどの女性を思い出す。 あいにく女性のファッションには詳しくないが清楚な美女で、着ていたスーツはもちろん、腕時計にバッグもブランド物だった。 見るからに育ちのよいお嬢様だったが、そういえば神志名は有名私立大法学部卒でコクイチ合格のキャリアだ。高嶺の花というわけではない。 「何が気に入らなかったんだよ」 「気に入らなかったのは向こうだ」 煙草に火をつけて神志名が答える。 「『あなたは変わった』―――だそうだ」 「ありふれた理由だな」 苦笑して黒崎も煙草をくわえる。 「心当たりは?」 「―――ある」 その言葉に思わず煙草に火をつけようとした手が揺れた。 神志名の出生の秘密―――それは恐らく学生時代、彼が警察へ入ることを真剣に考えた時に露見したはずだ。 彼の前途洋々たる人生を土台から叩き壊してしまった事実―――彼女からすれば確かに人が変わったように感じたかもしれない。 だが黒崎としては、『それ』を知っていることを神志名に悟られるわけにはいかなかった。 「他に好きな女でも出来たとか?」 敢えて軽口を叩くと、神志名も「そんなところだ」と苦笑した。 「でも学生時代ってことは、今は切れてたんだろ? なんで訪ねてきたんだ」 その問いに神志名がそこまで話す義理はない、と言いたげな顔をするが黒崎は気づかない振りをした。 「俺には聞く権利があると思うけど?」 「何の権利だ」 「アンタがカノジョと縒りを戻すなら、俺はお払い箱だろ?」 ストレートな言葉に神志名が驚いた顔をする。 「アンタ、二股かけられるほど悪人じゃなし―――俺としても愉快じゃないんでね」 神志名は苦虫を噛み潰したような顔で渋々答えた。 「確かに、そういう話だった―――忘れられない、あなたが変わった理由を教えてくれ、一緒に受け止めるから―――だそうだ」 「いい女じゃないか」 黒崎は思わず口にしていた。 「なぜ断った?」 「ならお前はなぜあの女子大生の告白を断った?」 言われて言葉に詰まる。 だが神志名はじっと黒崎を見つめて動かない。 答えが欲しいなら、お前も手の内を見せろという無言の要求。 「俺は……」 声が震えた。 「俺はクロサギだ。道を変えるつもりはない―――だからって、俺を好きだなんていう奴に同じ道を歩かせるわけにはいかないだろ」 最後には俯いてしまう。 クロサギになることを選んだあのときから、『普通の』幸福は捨てた。 誰かを愛しても、自分はその相手に何も与えてやれない。 罪を背負うのは、自分ひとりでいい。 その答えに満足したのかどうか、神志名があとを引き取った。 「俺も同じだ―――最初から知っていて、計算ずくで俺を利用する気ならいい。だが本気で好きだと言ってくれる人間を、俺は巻き込めない」 その言葉にどきりと心臓が跳ねた。 最初から知っていて、計算ずくで利用する気の相手なら―――。 神志名が目を眇めて俯いた黒崎を見た。 「……お前、俺の『変わった理由』を知ってるんじゃないのか?」 「知らないね」 返事はあまりにも早すぎただろうか。 声はいつもの調子を出せていただろうか。 「知りたくないよ―――アンタの弱みなんか」 弱みという言葉に神志名が反応するより早くおどけてみせる。 「俺は今の強面のアンタの方が気楽だし、同情するようなことを知っちまったら『仕事』がやりにくくなるだろ」 「何が『仕事』だ」 神志名は吐き捨てた。 「だいいちお前に同情されるほど落ちぶれてない」 「やっぱアンタ失礼だよな」 ぼやくと、ようやく神志名の眉間の皺が緩む。 「ビールでも飲むか?」 返事を聞く前に冷蔵庫を開けている神志名の背に声をかけた。 「まだ彼女を好きなのか?」 神志名が少しうんざりした顔で、でも律儀に答えて寄越す。 「もう住む世界が違う」 「答えになってない」 ビールを差し出した神志名の手首を発作的に掴んだ。 訝しげに顔を歪めた神志名の唇に無理矢理口付け、そのまま押し倒した。 馬乗りになって深く口付ける。 後ろ手にコートを脱ぎながら顔を上げると、神志名が顔を顰めて見上げてきた。 「止せ、背中が痛い」 「アンタは寝てりゃいいのに贅沢だな」 「お前と違ってこっちは明日も仕事なんだよ」 「誘っといてその台詞はないだろ」 思わず笑うと、その顔がどんなふうに映ったのか、神志名は少し目を逸らした。 「―――悪い」 「アンタがしおらしいと気味悪いな」 「どっちだ」 神志名がむっとした顔をする。 その額に口付けて、黒崎は囁いた。 「悪いと思うなら、今日は俺の好きにさせてくれよ」 「……ここで、か?」 「1回は、な」 神志名は諦めたように溜息をついた。 「好きにしろ」 「了解」 神志名のシャツに手をかけボタンを外しながら口付ける。 熱い舌を絡めとりながら、 黒崎はさっきの言葉を頭の中で繰り返していた。 ―――愛してくれる人間に同じ罪を背負わせることはできない。 なら、もし俺がアンタを好きだと言ったら―――アンタは俺を捨てるのか。 馬鹿な問いは、神志名の熱と共に体の奥深く沈んでいった。 |
*クロが襲ってますがいちおう受けです(笑)。 しかしだんだんタイトルが投げやりになってきた……(つけるの苦手なんです)。 |
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