CLOSER
(1)

 見るからにうさんくさい雑居ビル。
 まあカモは実際にビルを見に来ることなどないのだろうが、と黒崎がビルの薄暗い階段を覗き込んだところ、タイミングが悪かったとういうか、ちょうど降りてきた男の胸に鼻をぶつけるハメになった。
「痛ぅ!」
「失礼、大丈夫ですか?」
「いやこっちこそ……」
 互いに顔を合わせた瞬間だった。
「あー!」
 思わず大声を上げる。
 目の前にいるのは上野東署のキャリア警部補・神志名だった。
 相手も自分に負けず劣らずビックリしている。
 確か前にもこんなことが―――などと追憶に浸っている場合ではなく、三十六計逃げるにしかず、と背を向けたところ、いきなりスーツの襟を掴まれた。
「ぐえっ」
「警察見るなり逃げるな」
「離せよ!」
 暴れてもしっかり後ろ首を捕まえられていて、暴れるほど首が絞まるばかりだ。
「逃げなきゃ離してやる」
 揉め事に困り顔を向けてくる通行人を追い払うように「警察です」と告げて、神志名はさらに襟首を絞めた。
「疾しいことがないなら警察は怖くないはずだろ?」
「わ……かったから、離せよ!」
 ようやく手が離れ、新鮮な空気を肺いっぱいに吸い込む。
 それを神志名が冷めた目で見ているのを感じて、屈辱感で顔が赤くなった。
「ここのシロサギを狙ってきたんだろうが、遅かったな」
「……もう逮捕したのかよ」
「15分前に墨東署がさらってった」
 黒崎は目を瞬いた。
「墨東署?」
「立ち話もなんだ、少し付き合え」
 神志名が顎で示したのは少し先の喫茶店の看板だった。
「税金で奢ってもいいのかねえ」
「奢られる気なのか」
 犯罪者が図々しい、と神志名が苦虫を噛み潰したような顔をする。
「だからそういうことは令状取ってきてから言ってくれよ」
 黒崎はにやりと笑った。
「それに、この詫びの分くらいは奢ってもらってもいいんじゃないかな」
 襟を掴まれたせいで赤くなった首を見せると、神志名の眉間の皺が深くなった。
 逃げようとするからだ、と前置きして答える。
「……言っとくが経費で落としたりしないからな」
 妙に律儀な神志名に黒崎はちょっと笑った。


 黒崎の前に並んだケーキとパフェと自家製アイスクリームとに神志名はさすがにしばらく絶句していた。
「お前……甘党なのか」
「見りゃわかるだろ」
 早速パフェをすくった黒崎が何をいまさらという顔で答える。
「アンタも食う?」
「あいにく俺は辛党だ」
「あーそんな感じ」
 だから眉間にそんなに皺が寄っちゃったんだろ?と言うと真剣にむっとされた。
 この程度の冗談で腹を立てるようで(しかもそれが顔に出るようで)、本当にこの先出世できるのかねと密かに思う。
「……それで、さっきのシロサギ、墨東署が引っ張ったって?」
「ああ」
 神志名が煙草に火をつけて答えた。
 確かにここは墨東署の管轄だから、間違ってはいないのだが。
「アンタは上野東署だろ? 合同捜査―――なら、アンタも一緒に署に戻るよな」
「今回は上野東署は関係ない」
「え?」
「俺が墨東署の刑事に情報を売っただけだ」
「売った?」
「上を通すと色々話が面倒になるからな」
 わけがわからず黒崎はアイスをつつく手を止めた。
「わかんねえな―――あんたが何らかの証拠を掴んだんなら、素直に上を通して話を持ってけばいいだろ。面倒くさくたって、そうじゃなきゃ点数にならない」
「そんなもの必要ない」
 当たり前のように返された。
「面倒な手続きをしている間に、シロサギがトぶ可能性があったからな。伝手を辿って、墨東署の刑事にネタを流したんだ」
 そこでようやく、神志名は黒崎が妙な顔をしていることに気づいたらしい。
「何だ?」
「いや―――アンタ、なんでキャリアのくせにそこまでするんだ?」
 神志名の目がかちりと黒崎のそれを捉えた。
 黒崎のそれと違い、光に透けてガラス玉のように光る茶色い瞳。
「詐欺師を逮捕するのが、俺の仕事だ」
 神志名はまっすぐに黒崎を見据えて答えた。
 クロサギを。
「そのためなら手柄なんかどうでもいい」
「……ふん」
 黒崎はちょっと苦笑して、スプーンをくわえた。
 神志名もそれ以上は言わず、黙って煙草を吸い続けた。


*カシクロ、まずはお友達から……じゃなくて歩み寄りから(笑)。


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